仏頂面

肉眼という語感の生々しさ

それはそろりと入ってくる。


電車に揺られてのテキトーに見える更新をお送りします。


今回の題材は恋愛(失笑)云々ではない。

私が豪州に語学留学することを決めた、という身の程知らずさについてである。(ちなみに豪州と書いたのは気取った日記を変に気取ってみたかったから)


決めたのは、オーストラリアから帰国した時であっただろうか。

そして、本格的に覚悟を持とうとしたのが先週。現実が見え始めているのが今、ナウである。

行きたい、行こうという気持ちは変わらない。金銭面も、両親は 気にするな と言ってくれた。

けれども段々に動き始め、来月の中旬からの予定を組み始めてみると それはそれは縮こまって布団に潜り込みたくなるものだと思った。


今日、久々に学校があった。

授業を受け、勉強 という言葉が身に染み込んできた。じわじわと浸透してくるそれは、私にとって劣等感でしかない。今では小学生にも負けるおつむに成り果てた。

南無南無、と唱えるしかない。

そんな自分が無謀にも、海外へ。

来年には三年になるのに、進路も決まっていない。

勉強もしてこなかった。

私には持っているものが、ない。

以前通っていた学校は、所謂 有名校、ブランド校であったらしい。皮肉にも、幼稚園からエスカレーターだった私は 脱落して外へ出てから気付いたものだ。

精神を病んだ、と言われるが それも怪しい。

それが病むなんて、誰が証明してくれるのだろうか。

誰が立派な逃げ道と、自己陶酔への材料と、やらない言い訳を用意してくれるだろうか。


話が逸れてしまった。

悪い癖である。なむなむ。

オーストラリアへ留学するのは、とても楽しみな挑戦である。

同時にとてつもなく恐ろしい。

云々考えていたら、出歩く気力もなにかへのやる気もどっかいった。

財布にあった千円札も、あっけなく便器に流れ。

目を覆うしかない。

勉強しろ、勉強しろ。

反して身体は動かない。

どっぷりとした重苦しい水にとらわれている。

自己嫌悪の坩堝。


やる気をなくすのも、劣等感を感じるのも、簡単だよねって話。