仏頂面

肉眼という語感の生々しさ

死ぬ生活


久々のこのブログ。

安心してください、生きてますよ。

(このブームが未だ生きているのかは分からないが)


一月、オーストラリアから帰国し 次に来るのは輝かしく生き生きとした毎日だと浮かれていた私、元気にしていますか。

そんな期待はなんのその、簡単に崩れ去りますよ。どんなに時間をかけたものでも、壊すのは一瞬ですよ。


二月末、からだろうか。三月かもしれない。

記憶が定かでないが 私がまた布団に包まり家へ圧縮し始めたのは。

つまりは既に早三ヶ月は優に鬱をエンジョイしていることになる。

オーストラリアに行けば 二年ほど患った鬱もどっかへ行き、アクティブになって身体は痩せて、勉強もできるようになるものだと勝手に思っていた。


だがそんなのは甘い。

私なんかが出来るはずもなかったのだ。

私はすべてを無駄に落とし込む女。

長年呪うように願ってきた死にたいという願望すら達成出来ていない底辺のブタ。(ブタさんごめんね)


すべてが面倒な、すべてが褪せた、無感情の生活。

周りが壊れていく音を聴いている。

それでも私は生きてしまう。

生きて、しまう。


誰かが心臓を握り潰してくれたらいいのに。そのきつくきつい抱擁で、抱き殺してくれればいいのに。

頑丈な縄を手に取るのは、もうすぐ。