仏頂面

肉眼という語感の生々しさ

七つにひとつのじぶん。


山中湖。2日目。

木曜日に、昨日に、せんせいとのカウンセリングがあった。山中湖にはそのあとにきた。

先週とか、その前は、山口先生を先生としてみていたけども、今回はすこし、どうしようかしらと思った。

先生のゆっくり腕をあげて、頭を触るためにさわるのじゃなく手をやる動作がすきだった。前にもどこかに書いた気がする。かくりとした、ゆるりとした、機械的ともゆるやかとも、どちらともとれない独特の動作がすき。


いつもはあまり見ない、眼を見てみた。

案外私をみていた。目を見て話してくれるときの黒目が、ほんとうはなにを見ているのかと思うと すこしひやりとした。やさしさみたいな目線にくらりともした。

なんにもない目線。


私のごちゃごちゃした意味として、流れとして、はなしとしてなりたたない言葉を先生が目を瞑りまとめようと?している時間。彼の口があく空気を待つじかん。その間、私は先生をこそりと見てる。

心理士だから自分を一切見せない。話さない。線引きをする。かわす。

さみしいときは苦しいけれど、心地よい。

心理士と、患者(と気取ってみる)。

そういう小説なんて、ないかしら。


恋とかなんとか、そういうのではなくて、すき。たまらなく寂しくなるときがあるけれど、きっと心理士としてむかえてくれなくなったらわたしはまた、わたしの妄想を失っちゃう。

心理士として以外だなんてあるわけがないけど。

こういう、普段の生活とはちがったかんじがいいのだと思う。

非現実、現実逃避、個室にふたり。

しずかに わたしをきいてくれる。(わたしは壊れた楽器で、価値はない。ひとに聞かせるのは迷惑だから、先生がわざわざ聞いてくれる。職業。なんちゃって)

お金を親が払ってくれて、その対価に先生との時間がある。

仕事で話を聞いて、根本を見出していく、自立させようとしていくのはすごいなあとおもう。なぜやってるのだろう。

死にたい、でも面倒くさい。

死にたい、でも木曜日が来ればって思う。

山口先生にあいされたい。

恋人とか家族とか性行為とかそんなじゃなくて、あの個室の中だけで、ふたりの時間で、あいされてるなあって思いたい。

思えない。ありえない。


学校のレポートもせず、日々を笑っていて、なんの病気もなくて、自分は早く死ねと思う。罰を受けたい。罰してほしい。罰さなきゃいけない。


先生じゃなくとも、うすくて深いひとに 抱き締められて、埋め込まれて、苦しめられて、殺されたい。わたしを愛して、殺してほしい。そんなことはきっと訪れてくれないから、ぬいぐるみを一生懸命抱いて、いつか絶対 首を吊って死ぬんだ。


涙は出ないし、ほんとうはそんなこと思ってないのかもしれないけれど、はやく、ながく、先生に会いたい。会いたい。


誰か男の人に会いたい。埋めてほしい。締めてほしい。


0826 22:20


メモに書いていたものをここに残しておきます。