仏頂面

肉眼という語感の生々しさ

hello again a desire of the die

 

こんばんは、高橋です。

PCで鬱々としたものを書こうとしているのはもしかしたら初めてかもしれない。

ワタクシのアイフォンちゃんが末期なのでね。

 

昨年の五月、自殺未遂。とまでもいかない幼稚なオーバードーズ

去年の十月、ある人と出会い付き合いを始める。

今年の二月、専門学校の翻訳科から留学科への転科が決まる。

そして今月、己の希死念慮を再確認する。

 

姉への嫉妬?一種の憎しみに泣きました。

身内の死を今朝親から伝えられたのですが、そのことにはあまり動揺できずに晩に帰宅してくれなかった姉への“ずるい”という思いから涙が出たと思います。

私は死ねない。ずるい。

私は帰らなければならない。ずるい。

私は他人の死に涙出来ない。ずるい。

 

昨晩は秋元という母親には私の初恋のひとと称されるひとに再会しました。

もうひとり女性の国語の先生とともに。

秋元先生は変わりなく、相変わらずのらりくらりとしているようでこころに居座るひとでした。初恋でもない気がする。そういう単語はきらいです。

ずるい、ずるい、という思いに押しつぶされそう。

 

今日はお嬢様高校に所属していたころの勇信と会いました。

彼女は美人で、秀才で、私の妄想がはかどりました。

私はずるいという感情を成長させる才能だけは持ち合わせているようです。

 

家にいなくてはならない。

ここで私が帰らなければ両親は耐えられるでしょうが、子供に対して失望の念を感じると思います。そしてわたしは罪悪感に苛まれる。

なんて損な気質なんだろうと自分でも思う。

真の善人ではないくせに、罪悪感に圧し潰されるだけの弱者。

 

火曜日は山口先生。あのひとに、いまもなお死にたいと訴えてもなにも変わりはせず、鬱の自分は陽の自分に隠されて出来うるところまで生きるだけ。

どこまで誤魔化せるか。

はやく死にたい。

 

鬱症状が出始めるのが面倒でなりません。

以前のような状態が再来していることを否めない。

瞬間的な意識のフラッシュ?途切れ?、過食、摂食への恐怖、リストカット願望、金銭への執着、鬱気質、やる気のなさ、義務感、罪悪感、ひとへの執着、希死感、時々でる涙、疎外感、夜に外に出たくなる、等々。

予兆だとしたらやめてほしい。

生地獄はいやだ。

 

死にたいよう。だれかころして

 

 


おはようございます。私です。

ここでのハンドルネームを忘れてしまったワイ。あとで確認するね。


最近元気です。

料理したりお菓子つくったり、家事の手伝いを前よりはするようになったり。

外にも出るようになりました。

カウンセラーにもそう言うつもりです。


しかしてリスカにレグカにやって腹や首にに包丁押し当ててミミズ腫れつくったりと、これは普通から外れている行為なのかしらんとちょっと心配なこの頃。

でもそんな、見た目は醜いにしても酷いことはしてないからなあ。



常日頃から死にたいと宣いすぎているせいで思考もそりゃそうなるから 普通の人が、世間一般的に精神上健康とされる人が、いつもなにを思ってどう生活しているのかがわかりませぬ。


一昨日くらいは今の学校での先輩だった人とのデートで、前の学校の友だち2人を見かけ、びくびくしたんですが彼女らは私に全く気付かず置いてきぼりをくらったような感覚でした。

私だけが意識しているような。その通りなんだけどサ。

それで夜にあの制服を着たくなったけれど、私のものは母親が処分してくれちゃっていたので同じところに通っていた姉にライン(の前に姉の部屋勝手に荒らして制服探したのは本当にごめんなさい)。

 すると姉の制服は私にまわっていたと思い出し久々に制服着るぞ大作戦は失敗に終わりました。


煙草もどこかの曜日に買ったなあ。

まだ一本しか吸えていないけれど、親にはヒミツにしておきます。

ヒミツがたくさん増えてほしい。親には分からないままでいてほしい。そうして忘れて、幸せにおなりになってくだされ。私は死ぬ。


呼吸が苦しい。

意識外でちゃんと吸って吐いてをしているのかすら怪しい。

いや、しているから生きてんだけどよ。それくらいゼハゼハするんだべさ。


夜な夜な1人で泣いて、自室のインテリアに使っていたワインボトルで頭を殴っても、カッターを突き立てても、包丁をグイグイしても、結局は身体が死にたがってはいなくて、それでまた泣きました。

うっぜーーー。

私ではないかのようです。

いま思い出してもあれは私じゃない。断じて。


今日は母親と話すのが嫌だった。

今日は2年くらい通った大好きなイタリアンが閉まる3日前で、最後に食べに楽しく食べに行ったはずでした。

だのに何故私はトイレで涙が溢れ、家族の席を離れたいがためにお店の前で先輩に突然電話しなければならなかったのか。 

石井さんとの楽しい思い出にしたかった。

母親の纏わりつく視線とそらされた彼女の顔を伺う私と、それを見ている父が今晩でした。


母親は喋りすぎらしいです。

彼女の中で失敗したことはたくさんあって、彼女が正しいと思って言ってきたことで私を染め上げたそうです。小学生の修学旅行の際にサプライズで渡された保護者からの手紙、いろいろいろいろ。

間違いだったそうです。

じゃあ姉は?私は?

間違いだったのなら、失敗したとそこまで言うのなら殺してくれればいいのに。私を憎めばいいのに。

どんなに私が違うよ、ままのおかげよ、あははうふふなことを言っても彼女の中では凝り固まってしまった自責の念があって、それはその原因である私に取り除くことはきっと、一生、無理なのです。

しあわせになって、そう思うけれど、私がいる限り、私が幸せにならない限り、彼らもまた そうはなれないのかもしれません。

私が幸せになったとしても、彼らは幸せにはなれないのかもしれません。


今日は、何故か憎しみが色濃く出ていたと思います。哀しい。あのひとたちを憎みたくなんてない。

でも、私の中に血が流れているのがすごくすごく、本当に気持ちが悪くて、どうすればいいのか分からないほどでした。

きっと家族が近すぎるからだと思います。よくわかんないけど。てかわかんねーよ。


明日は、てか今日か、はカウンセリングと学校のテスト。

誰でもいいから他人の男の人に抱き締めて、締めて締めて欲しいです。

山口先生に会うのいやだな。

もうつかれた。


がんばりまーす。元気です。

おはよう。


0929 5:47



気にしすぎともいう2


長々と続けます。

誰も見ていないしやりたい放題だからええんや。


そう、佐藤くん。

一昨日くらいに佐藤くんから電話しようと言われたのである。

そんなことを言われたのは仮初めの恋人期間以来である。まあびっくりぽんのすけしたよね。

通話は彼の眠そうな声で始まって、2時間程喋っていた。彼はゲームが好きで いつもなら佐藤くんがそれをやりながら通話しているのだけれど、そのときはただ私と話していた。と、思う。


久しぶりに私の心的にもふつうに話せて、ほかほかとした気持ちになれた。

その次の日にも、また電話してもいい?と聞かれ今度は彼の好きなゲームのチームメンバーをクローズアップしたドキュメンタリーを2、3本見ながらの通話。面白かった。

とても、うれしくて、だからこそなんでなのかなあと思った。


1つには、彼が受験を受かったことがあるかもしれない。

けれどそれだから私に連絡してくるかしら?と。まあいいんだけど。


2人して布団に入って、ひそひそ話みたいに喋っていると出るのが下ネタ話。ふふふ、甘さはありません。

東京へきて一人暮らしするから、そのときね、みたいな。

そういう話をするのはいいんですけど、あなた私フッたよね?と、思う。

ただのおしゃべりならいいんですけど、そうでなかった場合 その変化はなんなのかなあと思った次第です。


ただの気まぐれなのか、東京へきたら彼女が欲しいのか。

少年を捨てたいのか。そうなのか?ん?

男の子の、性欲に熱心な姿はちょっとすきです。それが私に向くとちょっと引きますけど。私だぞ?


佐藤くんとは縁が切れちゃうと思っていたのでちょっと嬉しかったはなしです。

もしかしたらもうないことかもしれないけれど。



私もちゃんと自立して、勉強して、お金を稼いで、さっさとライフ終らせたいです。


では、また。


気にしすぎともいう


正確には覚えていないのだが、一昨日(?)くらいに 私の元恋人(佐藤くん)が、電話したいと言ってきた。

彼は、3日で終わったモジャの子ではなくてその子と同じキャンパスのわりと地味なやつである。

(期間は置けどモジャと友達の子と付き合うとは思ってもいなかった)


佐藤くんとも去年の夏、1週間Ausに行った際に出会った。

その時にはあまり話さなかったけれど、モジャが私のことを彼に相談していたり 私が彼の雰囲気はすきだなあと思うほどにはお互いを知っていた。

そうして、私が3カ月間Ausに留学していた間に頻繁に連絡を取っていたのが佐藤くんだったわけである。

そんな中、好きなやつ云々〜の話が出た時にあれよあれよと言う間にお付き合いすることになっていたのだ。

どんだけ〜〜。

そのときは特にそんな感情はなかったし、恋に恋するチャンスだった、というか彼を本当に好きなのかとか考えたらアカンかったと思う。

それでも好きではあった。

彼の声は聞いていれば落ち着くし、お互いのことを知り合いたかった。


日本に帰ってからも遠距離ではあるし(私は東京 彼は新潟)、共通の話題はない。

一緒にいたのはあの1週間程度で、無理があったと本当に思う。私も最後の方話題なさすぎて好き好き言い合う()のにも冷めてきていたし。


それでも佐藤くんが東京にくるときが一度あって、その時にはご対面した。私はおそらくあがり症なんだと思うんだけども、それで色々空回りしたなあと あの日のことを思えば穴を掘って身を埋めて誰かに土をかけてほしいと願ってしまう。

まあ翌日フラれましたよね。

ハッハーイ

いやでもわりと予感はしていた。

ただなあ、そのことはいいんだけど、なんでダメだったかをとてもとても教えてほしい。

私パーペキ!とおもっているわけでは全くなくて、どこを直せばもう少しは人間的にOKかつマシになるのか、佐藤くんの別れようと思った理由に単純に興味がある


そのあと私の中では紆余曲折あり、空回りながら求めることは多かったが、今はギクシャクなく連絡を取れている。


つつぐ→

七つにひとつのじぶん。


山中湖。2日目。

木曜日に、昨日に、せんせいとのカウンセリングがあった。山中湖にはそのあとにきた。

先週とか、その前は、山口先生を先生としてみていたけども、今回はすこし、どうしようかしらと思った。

先生のゆっくり腕をあげて、頭を触るためにさわるのじゃなく手をやる動作がすきだった。前にもどこかに書いた気がする。かくりとした、ゆるりとした、機械的ともゆるやかとも、どちらともとれない独特の動作がすき。


いつもはあまり見ない、眼を見てみた。

案外私をみていた。目を見て話してくれるときの黒目が、ほんとうはなにを見ているのかと思うと すこしひやりとした。やさしさみたいな目線にくらりともした。

なんにもない目線。


私のごちゃごちゃした意味として、流れとして、はなしとしてなりたたない言葉を先生が目を瞑りまとめようと?している時間。彼の口があく空気を待つじかん。その間、私は先生をこそりと見てる。

心理士だから自分を一切見せない。話さない。線引きをする。かわす。

さみしいときは苦しいけれど、心地よい。

心理士と、患者(と気取ってみる)。

そういう小説なんて、ないかしら。


恋とかなんとか、そういうのではなくて、すき。たまらなく寂しくなるときがあるけれど、きっと心理士としてむかえてくれなくなったらわたしはまた、わたしの妄想を失っちゃう。

心理士として以外だなんてあるわけがないけど。

こういう、普段の生活とはちがったかんじがいいのだと思う。

非現実、現実逃避、個室にふたり。

しずかに わたしをきいてくれる。(わたしは壊れた楽器で、価値はない。ひとに聞かせるのは迷惑だから、先生がわざわざ聞いてくれる。職業。なんちゃって)

お金を親が払ってくれて、その対価に先生との時間がある。

仕事で話を聞いて、根本を見出していく、自立させようとしていくのはすごいなあとおもう。なぜやってるのだろう。

死にたい、でも面倒くさい。

死にたい、でも木曜日が来ればって思う。

山口先生にあいされたい。

恋人とか家族とか性行為とかそんなじゃなくて、あの個室の中だけで、ふたりの時間で、あいされてるなあって思いたい。

思えない。ありえない。


学校のレポートもせず、日々を笑っていて、なんの病気もなくて、自分は早く死ねと思う。罰を受けたい。罰してほしい。罰さなきゃいけない。


先生じゃなくとも、うすくて深いひとに 抱き締められて、埋め込まれて、苦しめられて、殺されたい。わたしを愛して、殺してほしい。そんなことはきっと訪れてくれないから、ぬいぐるみを一生懸命抱いて、いつか絶対 首を吊って死ぬんだ。


涙は出ないし、ほんとうはそんなこと思ってないのかもしれないけれど、はやく、ながく、先生に会いたい。会いたい。


誰か男の人に会いたい。埋めてほしい。締めてほしい。


0826 22:20


メモに書いていたものをここに残しておきます。


死ぬ生活


久々のこのブログ。

安心してください、生きてますよ。

(このブームが未だ生きているのかは分からないが)


一月、オーストラリアから帰国し 次に来るのは輝かしく生き生きとした毎日だと浮かれていた私、元気にしていますか。

そんな期待はなんのその、簡単に崩れ去りますよ。どんなに時間をかけたものでも、壊すのは一瞬ですよ。


二月末、からだろうか。三月かもしれない。

記憶が定かでないが 私がまた布団に包まり家へ圧縮し始めたのは。

つまりは既に早三ヶ月は優に鬱をエンジョイしていることになる。

オーストラリアに行けば 二年ほど患った鬱もどっかへ行き、アクティブになって身体は痩せて、勉強もできるようになるものだと勝手に思っていた。


だがそんなのは甘い。

私なんかが出来るはずもなかったのだ。

私はすべてを無駄に落とし込む女。

長年呪うように願ってきた死にたいという願望すら達成出来ていない底辺のブタ。(ブタさんごめんね)


すべてが面倒な、すべてが褪せた、無感情の生活。

周りが壊れていく音を聴いている。

それでも私は生きてしまう。

生きて、しまう。


誰かが心臓を握り潰してくれたらいいのに。そのきつくきつい抱擁で、抱き殺してくれればいいのに。

頑丈な縄を手に取るのは、もうすぐ。














妄言:「わたしは海なのかもしれない」


一ヶ月。

その時間は私にとって、曖昧さをもろに感じさせる灰色の時間だった。

特にこの一ヶ月は。


私の波は、いつの間にかやってきて、いつの間にか去っていく。

短いときがあれば長いときだっていくらでもある。

私の認識として、喉に指を突っ込み始めたら下り坂のサインというのがある。

そのサインが見え隠れしたのは夏のはじまる少し前だろうか。平坦な日常を過ごして、オーストラリアへ一週間現実逃避、そしてまた平らな日々へ。

私のお金はどんどん減っていき、劣等感はゆるりゆるりとかたどられていった。


今。

この二、三日はどういうわけだかうまくいっている。勉強をするわけでもなく、なにかについて激しく討論するわけでもない。

好きなことをできている。それも世間に言えるような好きなことを。

映画を観たり 友達と約束をしたり。

停滞していた時期のぶんまで映画を観てしまいたい衝動すらある。

食べ物を買うことを我慢できる。

できる、と自分で褒めることのハードルが昔の自分とくらべて著しく下がったことは分かっている。

それはとても情けなくて、恥ずかしくて、隠してしまいたい事実だ。

そう定義しているのではなくて、実際にそう感じているというだけの話。


奥の奥へ、底の底へ、閉じこもってしまいたいと感じる自分と  高く高く、飛沫をあげるくらい外へ行きたい自分の二人に 振り回されている。


ちょうどこの季節、秋のはじまりのひやりと肌を撫でる風みたいに 気持ちよくありたい。




なにもかもおちて、無駄がない しなやかな自分。

わたしはそうありたい。


少しは変われるのかな。

変わって、いるのかな。


わたしには わたしのことはわからない。

それでもいつか、自分がいたら。

よく生きてるねってそこから跳ぶことにしよう。